ホームページの最初に,「私の研究について」の項目で述べたことが、私の、 一番の研究上の興味です。これは、純粋な計算機科学と数学の話なのですが、 そこで得られる知見、あるいは世界観というものは、一般の人にも訴えかける ものがあると考えています。
もともと、私の研究は、「連続なこの世界(空間、時間など、連続と思えるも のを全て含むと考えてください)を、人間はどうやって把握できるのか」とい う問いから来ています。人間が使える論理とか、人間が意識できる個々の事実 は離散的なものが中心なので、そういう離散的なものしかアクセスできないの に、連続を、どうやって考えることができるのだろうかという問いです。当然、 有限な世界には連続性は生じないので、その極限でできる無限な世界を考える ことになる訳ですが、離散的なものの極限は、必ず連続的なものになる訳では ありません。離散的なものの上の構造にしたがって、極限がどの程度の連続性 をもつか(たとえば、それが何次元空間なのかということ)は決まってきます。
この連続性の議論は、我々の日常生活にも示唆に富むものだと思うのです。た とえば、社会に暮らす人びとがそれぞれ違った意見、違った価値観を持ってい る訳ですが、様々な意見の人が共存していくためにはどうすればいいのでしょ う。
ものごとに白か黒かはっきりさせるのは、簡単です。しかし、そのような単純 化は、きれいで効率的で分かりやすい社会を生みますが、意見の対立が明確に なり、社会が分断され、争いの絶えない、すみにくい社会になってしまうこと が、容易に想像できるでしょう。中間的なものをたくみに使いながら、意見の 決定的対立を避けつつ、しかも、社会を前に進めようと、我々は日々努力して いる訳です。しかし、2つの対立する立場がある時、社会の分断を防ぎ、連続 した社会を保つためには、2つの立場の境界で、どちらの立場にも汲みしない ニュートラルな(ボトムの)人が存在するか、内部に矛盾をかかえて苦悩しつ つ両方とも理解した振りをする、「こうもり」の様な人が必要となります。
また,一方で,連続になればなるほど,強い立場の人が全体に対して影響力を 発揮しやすくなります。その中で独自性を維持するには,常に独自なものを発 信し続けるか,「壁」を設けて分断し,あるいは,外部とのインターフェース を明確にして,それ以外のところで内部に干渉されないような仕組みが必要で しょう。
こういったことは、意識してないだけで、社会生活をしていく上で当たり前の ことではないかと思います。これに対応する現象が、連続性を計算の立場から 研究していると、数学とか計算機科学の中で見られます。そして、はっとさせ られることがあります。
もちろん、人間社会のもつ連続性は、実数の連続性とは概念が違いますし、ア ナロジーとしてしか成り立たないことです。このような社会科学的な事象に対 して数学の定理を応用するのは馬鹿げています。しかし、アナロジーであって も、何か、社会の一面を説明している様に見えて仕方がないのです。
社会科学を専門にしている訳ではないので、あまり踏み込むのは危険であり、 有害でもあるかもしれないと思いますが、いつか、連続と計算に関する研究を 通して私が感じた世界観について、「計算論的世界観」という題で、発信でき るようになりたいと思っています。
この方向の話を、2003年4月24日に開かれた、京都大学綜合人間学部創立10周年 記念公開シンポジウムにて、「計算論的世界観」という題で話をしました。 その時のレジメとして書かれたのが、次の文章です。