障害児とともに

  いきなり個人的なお話から始めることをお許し
頂きたい。私の家には 2才半になる障害児がいる。
出生時の酸欠により、大脳の大部分と小脳の一部
を失ってしまった、生涯、目が見えることもはい
はいすることもないだろうと医者に言われている、
超重度の障害児である。出生直後の危機的な状況
から一命をとりとめ、奇跡的な回復を見せたが、
脳の障害だけは回復することがなかった。

  この子が生まれた頃、私は京都の他大学で教え
ていた。最初の1年は、幼い脳の可塑性を信じ、
残されたわずかな脳の力で少しでも目が見える様
に、動けるようにと必死になって頑張った。否定
的なことしか言えない主治医に対し、普通の医者
の知らない新しい療法を求めて、文献を探し、イ
ンターネットをさぐり、そして、様々な訓練を行
なってきた。しかし、徐々に脳障害児に固有のて
んかん発作がひどくなり、発作、嘔吐、発熱など
で、訓練どころではなくなってしまった。今もそ
の状態は続いている。この子の状態については近々
ホームページを作成するので、もし興味を持って
いただけたら、見ていた頂きたい。
   http://www.bakkers.gr.jp/~nozomi

  私の専門は、理論計算機科学という、コンピュー
タに関連して存在する数学的な問題についての研
究である。もちろん、コンピュータの様々な利用
方法について興味を持ってるし、コンピュータを
いじること自身、好きである。実際、昔、企業と
一緒にワークステーションの基本ソフトの研究/
開発を行ったこともある。しかし、どちらかとい
うと、応用のためよりも、純粋に知的な好奇心か
ら問題を設定し、それを解こうとする、そういう
タイプの研究者だと思う。

  私は、妻にいわせると、研究しかできない、人
の気持ちの分からない、冷たい人間らしい。それ
までの私は、こんなことを言われても、妻の気持
ちも分からずに反論を組み立てていた。しかし、
この子を通して自分を見直すと、妻の言わんとし
てたことが分かる気がする。私の研究は、実験や
観察という面が少なく、論理的に考えることが中
心である。自分は天才肌ではなく、努力を積み重
ねることによってここまで来た。それはいいのだ
が、浮き世離れしたことを考えることに一所懸命
で、あまりにゆとりがなかった気がする。

  研究者として優れていることと、人間として優
れていることとは全く異なることである。それく
らい分かっている。しかし、人間の価値を、その
人の考えに(考える能力に)置いてなかっただろ
うか。成長を目指して努力することに置いてなかっ
ただろうか。考えることも成長していくこともな
い子どもを目の前にして、自分の懐の浅さ、考え
の狭さを強く感じている。この子は抱き起こした
ら嬉しい表情を見せ、体調が悪いと苦しそうな表
情を見せる。快、不快。安心、不安、愉快、いろ
んな表情を見せながら、必死に生きている。おそ
らく、人間の感情、尊厳、その人らしさというも
のは、大脳より深いレベルに存在している。コン
ピュータや数学の世界にのめり込んでいるうちに、
そういった深いレベルで人と接するのが苦手になっ
てはいないだろうか。

  将来のことを考えると、この子を抱えて、たく
さんの人の手助けを受けないと生活していけない
現実がある。人を信じ、人と人との信頼関係を築
き、人の好意を上手に受け入れる。そういう資質
が問われている。これは、研究者、教育者として
も本当は必要なことだ。

  研究活動は大変なネルギーを消費するので、人
間らしいゆとりを持ち続けることは大変だ。しか
し、人間指向でいることが、研究の幅を広げ、研
究への意欲を持ち続けるのにプラスに働くのは間
違いない。総合人間学部が、そのための最良の場
となるようにしていきたい。

(平成23年8月7日、娘は15歳で他界いたしました。
娘に優しく接してくださり、私たちを暖かく見守り、
支えて下さった皆様に感謝いたします。)